top of page

女神に届く聖火の光

更新日:8月15日


今年は梅雨があっという間に明けてしまい、日本全国で猛暑が続いていますね🌻


全世界的にシフトの真っ最中だから、今は水の浄化以上に、

夏至から続く火の禊による魂の活性化が必要な時なのだと感じています。 


それくらい今回の夏至の光は通常のものではなく、まるで各個人の内側にストレートに届くまぶしい聖火のような光です✨



先月の光配信スペシャルでも少し触れましたが、ちょうどその夏至のタイミングで「国宝」という映画が日本中で一気に広まりました。


これは大切なメッセージを聖火の光とともに、今だからこそ私たちの集合意識に届けられた作品だと感じました。



長時間の映画でありながら「この映画は必ず映画館で見るべき☆」という口コミが一気に広まり、

いまだに老若男女に関わらず、多くの人が2度、3度と繰り返し映画館に足を運ぶほどの、久しぶりの邦画の傑作と言われています。



映画を観る人の次元(解像度)によって、感じたレビューはそれぞれに違うものですが、

この映画は主題歌を含め「光」が一つの大きなテーマとなっているので、

今回はあるスピリチュアルな観点からそのお話しをさせてもらいますね。



この映画は主人公が芸道という一生を通して、波乱万丈の人生の中で魂の自己実現をしながら、晩年ついに人間国宝となる物語です。


まだ青年期の荒々しく未熟な次元から始まり、

芸を磨くことで自らの業(カルマ)を浄化しながら人間としても成長し、

一人の人間がついに魂を昇華(アセンション)させてゆくその美しい姿が、多くの人に感動を与えたのだと思います。



美しいと言っても、単に女方の最高峰に至った芸の美しさという表面的な意味だけではありません。


それまでの彼の人生のプロセスは決して美しいものではなく、むしろドロドロしているし、

国宝と呼ばれるにふさわしい品行方正な人間でも、誠実な人間でもありません。


芸の上達のためなら悪魔とすら取引きをし、 

普通の人よりもずっと業が深く、それゆえ大きな痛みと苦しみを抱えた人間です。



でもその人生から逃げずに、酸いも甘いも味わいつくし、どん底の自分さえとことん体験しつくしたからこそ、

その人間にしか辿りつけない境地として、最後に国宝として至高の光を見ることができたのです。


深い業を抱えた一人の人間の魂が洗われ、磨かれ、光に昇華してゆくその姿の一部始終を観客はいっしよに味わうから、

そこに偽ではない、本物の美しさを感じ魅了されてしまうのです。



苦しみにもがく主人公が、それでも自分の道を歩み続ける姿を通して、

観客自身の内側で「魂が光に回帰してゆくよろこび」を思い出すからです。


それは私たちの魂にはじめからセットされた本質だから、「業が洗われ~光に変容してゆく瞬間」に人は心揺さぶられ感動するのです。



「国宝」という言葉は単なる比喩であって、

それは特別な才能をもった稀有な人のことではなく、


自分の選んだ道(天命)を通して、たとえ艱難辛苦の険しい道であっても、

それでも光に向かい続けることを、最後まで諦めなかった人のことを表現しているように思えます。



だからラストシーンの静かで神々しい祝福の光は、主人公が悟りに至った一瞥の体験にすら私は感じられました。


ree

よくスピリチュアルな道を歩む人たちは、

正しく真面目に生きて、できるだけ愛で徳を積めば、

アセンションし覚醒や悟りの境地に近づけるのではないかと、

いまだ古い道徳観念からそう信じてがんばる人が多いようです。



人を恨んだり妬んだりしてはいけない…

そんな醜い感情を持つべきではない…

つねに感謝を忘れず少しでも良い人間にならなければ… 



長くスピリチュアルな実践をしている人であっても、こうやってネガティブな感情を無意識に避けて、ポジティブなものでごまかしてしまうあまり、


それがかえって澱となりずっと内側に残り続けてしまうので、アセンションどころか、

いつまでも4次元世界から抜けられなくなってしまうのです。



私たち人間の業を洗い流し、最終的に苦しみから解放されるには、

少しでも良い人間になろうと努力し精進することではありません。


その方向だとますます苦しくなり業は深まるばかりです。



先ほどの映画の主人公のように、

人生のつらさや惨めさすらもしっかりと味わい、それをやりきって終わらせることで業は浄化され消えてゆくのです。


時に受け入れがたいような醜い感情であっても、

内側でしっかりと憎み、しっかり恨み、しっかり痛みを味わいきること。


人生の紆余曲折の中でやってきたものを受け入れ、完全燃焼するまで体験し終えることなのです。



映画の中で老いた主人公がついに芸道で国宝となった時、

実の娘から「あなたが国宝としてここまで上りつめるために、いったいどれだけの人を犠牲にし、傷つけてきたと思っているの」というような辛辣な言葉を投げかけられます。



たしかにその言葉通りなのですが、忘れてはいけないのは、

彼もまた小さな頃からどれだけつらい生い立ちの中で深い孤独と痛みを背負い、

人生で芸以外の大切なものをことごとく失ってきたでしょうか。



人を傷つける側 


人から傷つけられる側



決して片方の立ち場だけではなく、

このどちらの立ち場もしっかりと味わいきってはじめて魂の学びの完了です。



「なぜ今この地球の大きなシフトの時に、肉体をもってこの世に生まれてきたのでしょうか?」


永きにわたる魂の輪廻の中で、被害者の立場も、加害者の立場も、

どちらも自分の身をもって体験しないと真の愛などわからないのです。


それを肉体をもってやりきれるラストチャンスが今であり、

それがアセンションする人に必要な「内なる統合」です。



だからこれを読んでいる人も、自分の業(カルマ)を否定し嫌わないでほしいのです。 

 

ネガティブを避けたり、ポジティブ思考でうまくごまかしてしまうのではなく、

ちゃんと感じ味わいきることで苦しみから解放され、やがてそれはもう一段上の魂の愛や美しさに変わるのです。



次の新たな5次元のステージにシフトするためには、これまでの二元性の世界をしっかり体験し終わらせること☆



自分の人生でそれをしっかりとやりきった人だけが、映画のラストシーンで主人公が最後に包まれた、

あの息をのむような美しい祝福の光(Luminance)に導かれるのです🌈



~share the message of love~

     まりあ



【このメッセージ内容に対応するセッション】















コメント


aquamana

​~ 光の空間 ~

アクアマナ
セッションルーム

​京都北山

Copyright©2025 aquamana All Rights Reserved

bottom of page